1985年生まれで、今年37歳を迎える私。
音楽大好き人間として育っていく中で、出会った印象に残った曲についてつらつら書き綴っております。
本日はその22です。
今日からは大学生の頃について書いていきます。
よろしくお願いします。
音楽療法
昨日、大学受験の話しを書きました。
ええ。
私、一応音楽学部出身です。
楽器や歌を専攻していたわけではなく、【音楽療法】というちょっと変わった分野を専攻しておりました。
【音楽療法】については以前にも少しふれたことがあります。
この記事で書いたように、音楽を使用して対象者の心身機能回復などを目指すといった感じのことを4年間かけて学びました。
あ。
でも【音楽療法の定義】みたいな難しい話しがしたいわけではありません。
そもそもなぜ【音楽療法】を専攻したかというと、【音楽が大好き】だったから。
はい。
めちゃくちゃ単純な理由ですね。
大好きな音楽を使って人のためになることが出来るなら素敵じゃないか!
ホントそんな思いだけで音楽学部へ進みました。
実習
大学生活はとにかく実践的なことが多かったです。
1年生、2年生の時から週末はよくボランティアへ行ってました。
高齢者施設への音楽会のボランティアですね。
最初はどう動いたらいいのかわからず、ただついていくだけで完全に足手まといだった気がします。
元々人見知りな性格なので初対面の人と話すのも苦手。
だから高齢者の方の前に立った時に、一体何を話せばいいの??と軽くパニック状態。
今日も役に立たなかったなと自己嫌悪の日々でした。
でも相談にのってくださる優しい先輩たちに救われました。
まだ1年生なんだから、最初から動けるわけないよ。
次はこうしてみよう。
とか。
話しに困ったら、まずは天気の話題をふってみるといいよ。
とか。
だから回数を重ねるうちに参加させてもらうことが楽しくなっていきました。
3年生、4年生になったら実習三昧でした。
今まではボランティアという形で先輩についていって、サブで行っていたことを自分たちがメインになってやるわけです。
そして授業です。
音楽会は1回だいたい40分。
その都度メインの司会進行と全体を通しての伴奏者がいました。
だからこの2人ペアで流れを組み立てます。
- 何の曲を使用するのか
- 何か楽器を持っていくか
- 小道具は必要か
などなど。
授業後も実習準備のために遅くまで学校に残ったりしてました。
曲の練習はもちろんですが、必要ならダンボールで工作もしました。
1番良く覚えてるのは、みんなで【高原列車は行く】を歌うために、ダンボールで汽車を作ったことかなぁ。
汽車の窓から ハンケチ振れば~♫
という歌詞で始まるのでね。
情景が思い浮かべばと思って作りましたね。
音楽会の様子は毎回ビデオカメラで撮影して、戻ってきたら映像を見ながら反省会。
結構徹底的にそれぞれの意見を出し合いましたよ。
悪いところを見つける感じではなく、次回をより良い会にするためです。
ホントこの反省会があったから鍛えられました。
根暗な私でも自分の考えをまとめて発言できるように成長した。
まとめ
大学生活思い出すと懐かしいです。
考えてみると大学卒業してからもう10年以上たっちゃったんだな。
驚きでしかない。
こうやってあっという間に年をとるんだな。
嫌だわ―
ちょいと話しが逸れましたが明日も大学の授業について書いていこうかなと思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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